コロナ禍であらわになった「焼け野原」の2020年東京
半径2メートルの自転車配達員視点で、より広い世界を撮る
監督:青柳 拓(あおやぎ たく)
1993年、山梨県市川三郷町生まれ。日本映画大学に進学後、卒業制作として『ひいくんのあるく町』を監督し2017年全国劇場公開。岩淵弘樹監督作品『IDOL-あゝ無情-』の撮影クルーとして参加。大崎章監督、七里圭監督の下で現場経験を積む。アーティストグループ「ヒスロム」の仙台、ポーランドの展覧会に参加。2020年短編『井戸ヲ、ホル。』を監督。2021年1月、美術手帖の特集「ニューカマー・アーティスト100」に2020年代を切り開くニューカマー・アーティストの一人として選出される。
とにかく働かなければならない!切迫感と「人がいない東京」を撮れるかもしれない好奇心でスタート
Q:本作を撮影し始めたきっかけはなんでしょうか?
プロデューサーで日本映画大学(旧:日本映画学校)の先輩である大澤一生さんに声をかけられたのが最初のきっかけです。大澤さんから「ウーバーで働きながら撮ってみない?」とLINEが来て「それだ!」とすぐにピンときました。速攻で支度して、自転車を友達に借りて東京に出発しました。550万の奨学金に追われていたところに、コロナ禍によって運転代行の仕事も映像制作の仕事も一気に無くなり、収入がゼロなった自分としてはまずは稼ぐことが優先。けれど先の見えないコロナ禍の状況で、定職に就くということは憚られました。とにかく手っ取り早く稼げて自由に働ける自転車配達員という職業は今の自分に合っていると思えたんです。
もちろん、ドキュメンタリーを志す者として、誰もいない東京にも興味がありました。自転車配達員の視点からコロナ禍の東京を撮り続けたら、何か見えてくることがあるかもしれない、そしてそれは無名無職無一文で失うものがなにもない自分にしかできないんじゃないかと思いました。
映画でも語っていますが、2020年3月あたりだと地元・山梨では「東京に行ったら絶対にコロナに感染する」と噂されてて、僕もそういう怖さを感じていました。でも東京の友達に聞いてみると、どうやら電車は走っているし買い物に出かけている人も結構いるらしいし、若い人は感染しても症状が出にくいらしいことを聞いて、お金が必要ということの切実さと天秤にかけて「やっぱり行くしかないな」と。県を跨いでの外出自粛要請が出ていましたから、山梨から東京に行くのみにしようと。山梨にはコロナが落ち着くまで帰ってきてはいけないという誓いを自分に立てて、片道切符で東京に向かいました。
セルフドキュメンタリーとYoutuber的アプローチのミックス
身体的にシンクロするスマートフォンとGoproでの撮影
Q:撮影はスマートフォンとGoproのみとのことですがその理由は?
配達をしながら、自転車に乗りながら、基本的には一人なので、常にカメラを構えているわけにいきません。また稼ぐことが優先であるべきだと思ったので、撮ることがなるべく自分の負担にならないような装備でいこうと考えました。ポケットに入るサイズで日常のふとした瞬間と素早く捉えるためのスマホと、自転車の迫力のある疾走感を生み出すためのGoproというアクションカメラを使用しました。Goproにクリップマウントを装着して、自転車のいろんなところに付けてディテールを撮っていきました。
学生時代からセルフドキュメンタリーという手法を使った映画をいくつか観ていたので、自分が普段から使い慣れているスマホとGoproを使ってみようということに自ずとなりました。セルフドキュメンタリーは数年前までは小型のビデオカメラを良く使われていましたが、いまはスマホの方がしっくりきます。またこの映画は「ウーバーイーツをやりながら誰もいない東京を撮ってみた。」とタイトルが付くような、Youtuber的な発想だとも感じたので、当時からよく見ていた自転車配達員のYoutuberの撮り方を参考に撮影していきました。
Goproを使おう思った理由は、2018年に高山建築学校というところでアーティストグループ・ヒスロムと穴を掘った経験と、前作『井戸ヲ、ホル』というひたすら穴掘りをする映画を作った時の経験からです。Goproは単純に迫力のある映像を撮れるだけでなく、撮り手の肉体的な疲労とシンクロしやすいとそのときに感じていました。Goproを肌身離さず持って撮影していけば、体の一部になったようなしっくり感を作り出すことができるとわかったので。
自転車を漕ぎながら“稼ぐコツ”を掴んでゆく過程
人と人を繋ぐはずの仕事の幻滅と面白さ
Q:実際に自転車配達員で働いてみてどうでしたか?
僕のイメージでは一日に1~2万円稼げると思っていたんですが、全然違いましたね。最初は一日中動いて7,000円稼げれば良い方。全然思うように稼げなかったです。一日10,000円~15,000円ほど稼いでいるウーバー先輩の高野君に聞くと、どうやらコツがあるようで、例えばマクドナルドの前で待つと良いとか、住宅街に配達したらアプリをオフラインにしてすぐ繁華街に戻ると良いとか、雨の日や昼夕のごはん時だけ稼働すると良いとか、やっていくと地図も覚えるので、マンション名だけで地図を見なくても向かえるようなるとか。いろいろとアドバイスをもらって、徐々に稼げるようになっていった感じです。
また、配達先のお客さんのほとんどは「置き配」という家の前に品物を置くという依頼が思ったよりも多かったです。接触をさけるためにウーバーイーツを頼む人もいると思うので当たり前ではあるのですが、自分がどんな人に配達しているのか顔が見えなくて寂しい気持ちになることもありました。自分は本当に人の役に立っているのか、人に会わずシステムの中だけで動き続けているとロボットのような気持ちなりうんざりすることもありました。ただ自転車の街を走る解放感と爽快感、タワーマンションの上の階の見たことないほど美しい景色を見ることができるのも、配達員ならではの面白さだと思います。
「システム」の中でチャレンジする面白さと
自転車配達員の制度的な問題点を体感する
だんだん慣れてきて稼げるようになってくると、今度はアプリ内のゲーム的な要素にも挑戦したくなります。一定の配達条件を満たすと成果報酬が得られる「クエスト」をクリアするためにとても熱中しました。昨今のニュースで配達員の運転マナーの問題が取り上げられていますが、配達員本人の問題は前提であるにせよ、配達員の競争心を煽るウーバーイーツのシステムにも原因があると思います。
Q:自転車配達員は気軽に始められる一方、労働者としての立ち位置等の問題が指摘されています。働いた当事者としてどう感じましたか?
副業のおこずかい稼ぎとして、ダイエットがてらで働くくらいなら問題ないかと思います。それよりも、なりふり構わっていられない、とにかく目先のお金のために働いて稼ぐんだと勇んで働き始める人もコロナ禍で増えたんじゃないかと思います。自転車にはメンテナンスが必要で、専用のバッグも5,000円ほどかかりますし、予期せぬ出費が本当に多い仕事だと思います。幸い今のところケガはありませんが、配達を続けていくと、スマホの破損や雨による故障、自転車に付けるスマホホルダーを盗まれたり、自転車がパンクしたり、ブレーキがすり減ったりと、自転車のメンテナンスは必須となるのでそれによる自腹での出費は大きな痛手となりました。
特に事故があった場合の保障はまだまだ整備されていません。個人事業主としての扱いであるウーバーイーツでは労災が適用されないのです。労災保険制度の趣旨は、『企業が労働者の働きによって利益を上げているならば、労働者が被る危険についても負担すべき』という点にあります。ウーバーイーツは配達員の労働によって利益を上げているわけですから、企業にも労災保険の費用負担義務がある程度はあると思います。このような問題意識から、フランスやイギリスでは従業員と認定され法の整備がなされていますが、日本はまだ整備されていません。
また2021年3月には日本の一部の地域で配達報酬引き下げのニュースがありました。「バグなのか」「本当に引き下げなのか」、現在(2021年3月)のところ公式は名言していませんが、ウーバーイーツ側は配達の報酬基準を一方的に決められる立場であるということを知らしめられた騒動だったと思います。結局は自分たちは振り回されて使い捨てであるのだと、いまはケン・ローチ監督の警告が身に染みています。
「オンリーワン」を志向させられていた“ゆとり世代”の僕たちの現在
人を繋ぐ自転車配達員の仕事で、予想だにしなかった人々との出会いからの発見
Q:自分自身だけでなく様々な人々と出会っていきますが、それぞれ印象に残ったことを教えてください。
「ステイホーム」と謳われていた時世で映画を撮るということ、人と人とを繋ぐ自転車配達員という仕事をしていくということは、他者と関わることがとても重要になると撮影前から想定をしていました。まず想定していたのは、商品を受け取るお店での出会いや配達員同士の交流、配達先での出会いでしたが、そういうことは意外とほとんどなく。お金を必死に稼ぐことによって出会えた人は、心配して声をかけてくれた人や仕事の合間に偶然出会った人との関係で、それが強く印象に残りました。
もともとつながりの深かった同世代の友人たちとは僕がカメラの持っていることをすぐに理解してくれましたから、仕事の合間の短い時間の中でもいろいろな話をすることができました。映画監督を志す高野君はフリーの助監督として随分前からウーバーを活用しているのでアドバイスをくれる人として。土君はコロナへの不安からステイホームを徹底して、家でできるさまざまな発見を体現している人として。幸穂さんは先輩として、背中を押す言葉を自身にも言い聞かせながら話してくれて、励まされました。飯室君と佑ちゃんは、同郷の同級生がいまどんな生活をしているのかを見せてくれました。僕たちは1993年の生まれで、ゆとり世代と呼ばれる時代のど真ん中に当たる世代だと思います。実感はないのですが、よく言われるのが「ナンバーワンよりオンリーワン」。つまり上の世代よりも個性や主体性を尊重されて育ったのだと、上の世代の人と話をすると気づかされます。それは素直にいいことだなぁと思いますが、社会の土台は上の世代が作ってきたものなので、ナンバーワンになれなくてもナンバーワンを目指す志がなければ生きていけない状況は変わっていないと思います。個性を大事にと教育されてきたのに、社会では個性なんて大事にされない時代を目の当たりにして、その矛盾にもがいてる人は少なからずいると思っています。僕も佑ちゃんも飯室君も幸穂さんも、そうやってもがきながら生きているんだと、コロナ禍がきっかけで改めて教えられた気がします。
偶然出会った俳優の加藤さんと、公園にいらしたおばあさんについては、二人とも僕がしょんぼりベンチで座ってくれたところに声をかけてくれた人でした。加藤さんは長年俳優をしていて夢はスターになることだったと言っていました、もしかしたら昔の加藤さんは今の僕なんじゃないかと思うと同時に、好きなことを目指して生きていくことの厳しさを教えられました。戦争の話をしてくれたおばあさんに関しては、撮影をする前からなんどもなんども僕に戦争の話を言い聞かせてくれていたんです。当時、戦争の話自体は映画には関係ないことだと思っていましたが、単純に話として貴重だと思ったので「大切な話だから記録させてください」とお願いをして撮影させていただきました。おばあさんの話と現在の状況がつながったのは、後になってからでした。
自分にカメラを向けることで、自分自身の発見を撮る『ジョーカー』のような、社会への違和感や鬱憤が自分にもあった怖さ
Q:自分自身を戯画化したような演出が印象的です。その狙いは何だったのでしょうか?
そうでしょうか。正直まだ自覚的にはなれていないのですが、そのような印象があるのは、ひとつに「稼ぐこと」を軸足に置いて撮り進めていったからだと思います。今回はコロナ禍ということもあり、基本的には不要不急の外出は避けようという世間の雰囲気がありました。なので、単純に「面白い映画を撮る」ための行動をすることがなかなかし難い状況でしたし、躊躇しました。しかし僕にはすぐにでも稼がなきゃいけないという必要もありました。この状況下で稼ぐことは大変だし怖いけど、稼がないままの現実も暗いばかりです。どちらも理不尽なこと多いけど、その葛藤も含めて自分にカメラを向けることで、それを観た誰かが笑い飛ばしてくれるかもしれない。そんな気がして前向きに、自分が稼ぎながら疑問に思ったことや、発見を撮っていくことにしました。
僕は問題を指摘したり怒って糾弾することが苦手で、何か理不尽なことがあると笑って受け入れてしまうところがあります。でも稼ぐために自分を追い込んでいくと、本音がぽろぽろと零れ落ちる。後半の配達のシーンはクエストをクリアするために、すべての力を限界まで使って走りきった記憶があります。そのときに出た言葉は本音だと思うし、撮った映像もほとんど無意識で回していたものでした。映画の後半はさながら『ダークナイト』や『ジョーカー』のような雰囲気になっていますが、当時の自分は確実に社会に対しての違和感や鬱憤が蓄積されていたんだと思います。自分で言うのもなんですが、自分のあんな素敵な笑顔は久しぶりにみました。まさか狂った先に笑顔があるだなんて思ってもいなかったし、それこそジョーカーのようで、恐ろしい状況だったと思います。これを映画として撮っていてよかったです。映画を撮ってなかったらどうなっていただろうと思うと…ちょっと考えたくないです。
「血の通っていないシステム」に生かされている自分たち
一人一人の内側は「焼け野原」なんじゃないのか
Q:後半、自身の身の回りのことからコロナ禍での社会情勢に視点が拡がっていきます。特に「システム」「焼け野原」「孤独」といったワードが印象的でしたがそのあたりの意図はどういったものでしょうか?
僕は勉強が苦手で社会情勢を語ったり、政治の話をすることを難しく考えていました。「焼け野原」だなんて、簡単に言ってよいものではないんじゃないかと思ったし、「みんな孤独だ」なんていえっこないだろと、撮影前の僕なら考えると思います。けれど、自分の身の回りのことを丁寧にカメラで捉えていき、そのことにいちいち一喜一憂していくと、自分がどんな「システム」の中で動いて動かされているのかはとても小さなスケールではあるけど理解できました。そしてそれは「血の通っていないシステム」なんだとも気がついて、さらに広げて考えてみると世の中ってほとんど「利益だけを追求した血の通ってないシステム」ばかりなんじゃないかと思って、そのときにひとつ腑に落ちたというか。というのは、僕の身の回りではずっと前から断絶を感じることがいっぱいあったなって。地元の山梨に帰っても外には友達はいないし、地域のお祭りでさえ顔をあわせることもない。友達の安否確認ができる唯一の手段はSNSだけど、SNSをやってない友達とは連絡を取りさえしない、SNSをしていない友達に関しては存在すらも忘れてしまいそうなほどだと思います。昔は友達の家まで行って「○○くん、あーそびましょ!」なんて言ってたけど、いまは人の家にいきなり行くなんてありえない。SNSなど、知らない人たちが作った「システム」によってみんなが「孤独」になったんだなと気づきました。そんなときに、自身の戦争体験を熱心に話してくれるおばあさんに出会って「ここは焼け野原だった」という言葉を聞いて、建物は焼けてないけどひとりひとりの内側にあるモノはもう「焼け野原」と言っていいんじゃないかと、ふと思ったんです。それをあえてちゃんと言うことで自覚したかったというか。最低限ですが自覚さえしたら、良くする方向にもっていくことができると考えました。
「孤独」だからこそ他者と会いたい!繋がりたい!
半径2メートル(ソーシャルディスタンスの距離)より広い世界を想像する力を
労働ってシステマチックなものじゃなくて本来もっと人間らしい血の通った作業だと思うから、ウーバーイーツという身近なシステムくらい自分の力で血の通ったものにしたいと思いました。システムによって断絶された社会で、それぞれが「孤独」だということを意識し自覚したけど、それなら「孤独」だからこそ会いたい!繋がりたい!と強く思うようになりました。『東京自転車節』のタイトルに「節」と付けたのは、昔、労働者たちが汗をかいて自分たちを鼓舞するように歌っていた炭坑節のように、自転車配達員での仕事も血の通った人間臭いものしたいという想いから、こういうタイトルにしました。
Q:最後に、完成した作品をどのように観てもらいたいですか?
社会的な問題はいろいろあるかと思いますが、とにかくまずは面白がってみていただけたらと思います!そこからそれぞれのシーンに隠されている問題意識を考察していったら楽しいかもしれません。セルフドキュメンタリーの面白さは半径2メートル(ソーシャルディスタンスの距離)の範囲内を丁寧に突き詰め描いていくことにあると思っていて、そのことによって逆に描かれていないものに気づく、2メートルより広い世界を想像させる力もあると思っています。
撮影を終えて今回僕が初めて身にしてみたのは「一部の権力者に振り回されているということを、もう少し僕自身が自覚する必要がある」ということです。そして、振り回されていることを自覚したら次はどうするか、そこのところはまだ模索中ですが、ひとつ「こっちの方向ではないか」ということを主張してみたので、そこも含めて面白がって頂けたら嬉しいです。