コメント
甲府の南方に、市川大門という『ひいくんのあるく町』がある。デカい花火大会が有名な、粋でいなせの人々が住むこの町にひいくんが育てられ、また薄れゆく共同体がそのひいくんによって辛うじて繋がれている様を描いた素晴らしいドキュメンタリーを撮った青柳拓。このひいくんが、いつも土方のヘルメットを被ることになるきっかけを作ったのが空族常連俳優の鷹野毅だった。そんな地元ならではの小さな奇跡を互いの作品を通じて知ることになったのだが、その後、青柳は奨学金の借金を返すためにマグロ漁船に乗ってきますといったまま音信を絶ち、この『東京自転車節』という新作とともに彼は戻ってきた。昭和の時代、一攫千金の出稼ぎといえばマグロ漁船かダム建設の飯場というのが相場だったが、あの頃、誰がウーバーイーツなど想像したろうか?分断の最果てにしか見えないこの映画が映す東京で、それでも人と人を繋いでいるのだと走る青柳は、山梨随一の粋でいなせな町、市川大門で育ったぼこっつこん!地元の若ぇしが体張って作った映画、身ぃ染みて観てやってくりょうし!(涙)
富田 克也
空族
「カネは寂しがり屋で仲間がいるところにばかり集まろうとする」というセリフのように、コロナ禍では理不尽が倍増する。奨学金の返済がのしかかり公的補償もないままに仕事とカネが無くなっていく現状を何とか乗り越えようと一念発起した彼は、折れそうになりながらもしなやかに世の中に関わろうとする。彼の成長や気づきと、国の変わらぬ愚かしさの対比はあまりにも鮮明だ。ドキュメンタリーだが、すこぶるリアルな劇映画のようでもある。
松尾 貴史
俳優
小型カメラ、自転車、セルフ、コロナ、東京、配達員、ドキュメンタリーとくれば、
好物以外のなにものでもなくて、さらに志がちゃんと真ん中にあって、
あの2020年の4月から5月の、見えない檻に覆われた東京を、
カメラと気持ちが一体になって進む様を、ずっとはらはらドキドキしながら見ました。最高!
ただ、最後に向かう先はどうなんでしょう?
僕はそれが頭から離れません。
カンパニー松尾
AV監督
ウーバーやる気が起こらない日々も、正直に映してるとこが良かった。まだまだこの映画(ウーバー生活)の続きが観たいと思ってしまったけど、早く青柳監督が出稼ぎしなくてもよい状況になってほしいので、やっぱり東京自転車節2が作られないことを願ってます!絶対に面白そうなので観たいけど。それにしても、ひいくんからの電話が嬉しかった。
大橋 裕之
漫画家
新しい日常という名の、殺伐とした生活様式。我々庶民はこのまま、システムの家畜に成り果てていくのでしょうか?
システムに囚われ、翻弄される青柳くんの愛らしさが全開で、思わず顔がほころびながら、巧妙なやり口を逆にひしひし感じさせる、必死の作品でした。僕も僕なりに、この世の中の風潮に、ささやかな抵抗を続けようと思いました。
七里 圭
映画監督
時間と天候に追い立てられながらの労働の中、それでも毎日を撮り溜めていくことを続ける手によって、小さなカメラは角度を変え、つける位置を変え、東京の路上で稼ぐひとりの人を記録する。
そのいちいちの手作業が、映画をつくるためともいえるが、システムの上を走らされないための手立てのように思えた。不思議なことに、働けば働くほどひとりになり、働く足が止まった時には、他者を気にかけて声をかける人たちが写り込む。
彼らも同じ焼け野原の社会の上でぐらつきながらも、言葉はまっすぐで、優しくて、こちらまで励まされた。そんな個別の強かさに気づかせてくれる映画だ。あちこちに聞こえない労働歌が無数にあることを想像させてくれた。
小森 はるか
映像作家
これは青柳版、日本版『ノマドランド』だ。こっちのノマドにゃロマンティックさは欠片もない。のほほんとした桜庭和志似の青柳くんが残酷な世界に触れ、変貌していく一連の展開は誰しもが考えるいまへの恐怖、不安、そして怒りに符合する。現在の日本を、怒りのデスロードをペダル踏みまくって激走する彼の姿に共感しかない。生きる力がガンガン伝わってくるドキュメンタリーかつ生活大大大活劇。全国民必修映画でしょこれ。イカれているのは世間か自分か。ゲットアップ、スタンドアップ!
川瀬 陽太
俳優
まず試写場の熱気が凄かった!皆これ今観たい物語なんだなと思った!観客も裸で晒されるような90分、客席もずっと脈動してた!
コロナ禍の東京を撮ってるけど、もうずっと前からあったような手詰まり感、人間が生物としてそもそも持ってる残虐さが映って……
そしてどんどん想定の外へ外へ、青柳さんの生命力が冒険していくのを追体験できてすっごく面白かった!
西山 真来
俳優
傑作。最後まで食い入るように観た。疫病と格差とギグワークの21世紀の現在を、ただ声高に言うのではなく、乾いたユーモアを交えてここまでリアルかつ情感たっぷりに描いた作品は類を見ない。多くの人が共感するのでは。
佐々木 俊尚
作家・ジャーナリスト
自分のことで精一杯で、見ず知らずの他人があの日々をどのように生きていたかなんて考えたこともなかった。が、一年余りが経過した“今”だからこそ、他人事を自分事として捉えられるだけの心の余裕が生じ、冷静にあの日々を見据えることができていく。ほんの一つでも何かが違っていたのなら、自らも辿っていたかもしれない現実がそこにはあり、一人の映画監督が直面した日々を追体験していく中で、生きていくことの意味を、働くことの意義を、混迷極めるこの社会の行く末を見つめ直す機会を得た。配達は不可、この感動と衝撃は劇場でしか味わえません。
ミヤザキタケル
映画アドバイザー
青柳監督がUberやりながら友人知人宅を転々としてると聞いたので、引っ越しを終えたアパートに誘った。路上で寝てる頃だったのだろうか、強烈に臭かった。辛そうだった。映画監督の余裕の観察眼で上から目線で撮ってる訳じゃなく、濁流に自身をブッ込み懸命に溺れかけながらやっているのだ。生き抜くぞ!撮り抜くぞ!!ゴーゴー命を燃やしながら漕いでいる。
岡 啓輔
蟻鱒鳶ル
「デルヘリのところマジ、大笑いしちゃいました!銀杏BOYZのセルフドキュメンタリーを思い出しました」と青柳監督に伝えたら、「僕は『僕たちは世界を変えることができない』を観てバンドを始め、『ボーイズオンザラン』を観て映画をやりたいと決意しました」という返信が来た。銀杏ライブに「ミネタ〜!救ってくれ!救ってくれ!」と集まっていた必死な中学生・高校生の一人が、青柳監督だったのだ!恐るべし!銀杏チルドレン!
神藏 美子
写真家
コロナ、格差、非正規労働、教育ローン、さらに性風俗の複雑なシステムなどなど、現代的な問題が純朴な青年に襲いかかり、一気に狂気的な精神状態になってしまう。まさにこれは2020年の『タクシードライバー』だ!
村上 賢司
映画監督/テレビディレクター
青柳君って誰かに似ているなと思っていたけど格闘家の桜庭和志さんに似ている。
ヘラヘラと惚けながらも狂気を孕み、バシッと決める。
生きることは面倒臭い。稼ぐことも面倒臭い。映画を撮るなんてもっと面倒臭い。
面倒臭い世の中なら、一番気持ちいいことをしよう。泥臭くてもカッコ悪くても俺は撮り続けるぞ、こんちくしょう!!︎青柳くんもそうだろう!?︎
今田 哲史
ドキュメンタリー監督
人通りのない新宿を駆け抜ける疾走感、ワーキングプアな現場とタワマンの眺望をアップダウンするどん詰まり。踊るのか、踊らされているのか。でもその前に大事なのは、しっくりくること、等身大であること。働く者の息遣いが、一陣の風となって吹き抜ける新世代ドキュメンタリー。
九龍ジョー
ライター/編集者
在学中に、自分にだけはカメラを向けるな、と言ったはずなのに!青柳、辻井、大澤、スタッフみんなOBじゃないか!
だが、作品中のケン・ローチが言っているように本作には拡大を続ける貧困と富裕の格差が見える。撮ろうとしたのは自分じゃなくて、きっとそっちだったんだと思う。サラ金の取り立てのような奨学金の返済に喘ぎ、低収入で定収入もない映画人生の危機は続く。コロナ禍でバイトすらままならなずUberに走らなければならなかった青柳の叫びが聞こえてくる。
安岡 卓治
映画プロデューサー/日本映画大学 教授
ドキュメンタリーは嘘をつく、けど、ドキュメンタリーは嘘をつけない。そこに映し出されていたのは、実はすべてコロナ禍の前からそうであったのかもしれないものばかりだ(個人的ハイライトはあの流れで出てくる○○ホテルのリアリティとグロテスクさ!)。でもだからこそ、今ここで生きていくために山梨から東京に出てきてUber Eatsのデリバリーバックを背負い、iPhoneとGoProを装着した自転車をこぎ続けもがき続ける、愛すべき全身ドキュメンタリスト労働者、青柳拓監督にしか撮れなかったものだと思うし、監督は、今回の賭けにはさしあたり勝利した。でもだからこそ、そんな監督自身の姿も映り込んでいるドキュメンタリーの虚実のその先に、半径2メートルのその先に、監督の真の勝負が待っているのかもしれないし、おそらくそれはもう始まっている。
ハン・トンヒョン
日本映画大学准教授・社会学
コロナ禍、インターネット、youtube、uber eats。都市が作った強固なシステム。都市のゲームルールは明確に勝者と敗者の差を生んでいるけど、青柳くんはゲームをプレイしながら、ゲームをハックすることで楽しんでいる。乗るか反るかではなく、ハックする。ドキュメンタリー映画というフォーマットさえハックして、ドキュメンタリー映画が陥りがちな『ドキュメンタリーは客観的に真実を描く』という嘘を一切つかない。前の見えない薄暗い時代に自転車で正面衝突する、監督の遊び心と好奇心に満ちた、超正直で超主観的な素晴らしい作品です!
たかくらかずき
アーティスト/アニメーション作家
東京への道中流れる炭坑節の替え歌『東京自転車節』。なんだかバカバカしい。東京についてすぐ「すでに若干後悔してる」という青柳さんに笑ってしまった。その時は。
『東京自転車節』はエンドロールでも流れる。冒頭とは重みが違う。いつの間にか青柳さんに近づいてしまった。寄り添ってしまった。元になった炭坑節もきっと、本来はこの気持ちで聞くものなのだろう。
『人生は、近くで見れば悲劇だが遠くから見れば喜劇である。』
いつか笑って話せる日が来ますように。
立川 かしめ
落語家
『AKIRA』のようには破壊されなかった東京。この街は、世界は、今や映画そのもの。貧しき映画監督・青柳拓はそんな東京都心をUberEATSで稼ぎまわる。自らを食わせることと他者を食わせることが交わるとき、東京という「空虚な中心」(コピーライトマークロラン・バルト)と青柳のカメラ・アイとの焦点距離は限りなくゼロになる。ここにはセルフドキュメンタリーが私たちの物語に変わる瞬間がある。ともあれ今は皆で生きのびよう。いつか、この地獄の釜底が抜けた先に見える景色を思いつつ。
奥脇 嵩大
青森県立美術館学芸員
ウイルスにより幾度目かの焦土と化した首都で、彼はひたすらペダルを漕ぎ続ける。次第に荒くなる呼吸は、まるでウイルスに感染したかのようだ。ペダルと共に街は回転し表層が剥がされる。露わになるのは貧困、格差、断絶、孤独、経済の無慈悲な仕組み…。
しかしこの映画は絶望しない。コロナ禍をしたたかに生き抜き、真の標的に立ち向かう決意を表明する。その覚悟は観客の心にも確実にデリバリーされ勇気をもたらすだろう。漕いで漕いで漕ぎまくれ。コロナ禍を回せ、世界を回せ。明日は必ずやってくる。
村上 浩康
映画監督
すぐ隣なのに、透明のアクリル板で仕切られたような東京と山梨。故郷を捨てるように片道切符で乗り込んだコロナ渦の東京で、青柳拓監督はどれだけの絶望を噛みしめただろうか。
手を差し伸べてくれる人、新しく出会う人との縁を紡ぎながらひたすらチャリを漕ぎ、映画監督として考え、作ることをあきらめずに、人と人とのつながりを信じ、もがき続けた証として完成させた映画『東京自転車節』を憤りも絶望も希望とともに"あのバッグ"に詰め込んで、青柳拓監督自ら届けてくれた。
手塚 悟
映画監督
宣誓、僕達私達は。

畳に寝そべりながらロールプレイングゲームをしていたあの頃には予想もできませんでした。この映画をいやにリアルなディストピアSFだと信じたいけれど今日、ここに生きています。先生、僕たちはどこに辿り着けますか。ニンゲンのソンゲンって誰かが操作できるものなんですか。

漕げども焦げども焦がれども、人々の生活は目まぐるしく変わるのに僕らのオクニは変わりません。

セーブもリセットも効かない現実を疾走奔走し、ゼロ距離の息切れで体現する青柳拓。悲痛さに笑い、軽快さに泣き、ラストに思わず息を呑んだ。どんな仕事においてもせめて守られた中で、自分で走りたい。
根矢 涼香
俳優
2020年4月、コンビニバイトから帰ってきたら、安倍元首相の「うちで踊ろう」が流れてきてなんか号泣した。自分の生活は国から無視されていると思った。この映画を観て、ドキュメンタリーとは現実を無視しない意志のことだと知った。「働きたくない」と言いながら働いたことのあるすべての人は、この映画に自分の背中を見ると思う。
金子 由里奈
映画監督
「働」くとは文字通り「人」が「動」くって事で、
こんな「人」が「動」いてはいけないとされている中の東京を、
青柳くんは動きまくって稼いでいる。
しかも映画監督は映画を撮るのが仕事なので「働」いていたのだ。
この映画は青柳監督が最高の主人公の青柳くんと共に作った、
緊急事態宣言ディストピアエンターテイメント!!
Uber Eatsの中の人にも届けてあげたい!!
そして巻き込まれて欲しい(あ、でも、外資か、怒られちゃうか…)!!
内堀 義之
写真家
この映画を観たら、青柳拓という人間が好きになる。なんか憎めない。それと同時に、ヘラヘラしながら真っすぐ生きる彼を見ていると、自分は何を大切に思うのか、何者なのだろうかと考えてしまう。同世代で他人事ではないからこそ、これをただの「今どきの若者のリアル」とは思ってほしくない。究極の労働ムービーがここに!!
近藤 笑菜
俳優
むかし、おばあちゃんの家に魚売りの軽トラが来た。おばあちゃんは魚屋のおじちゃんとたのしそうに会話し魚を選び、旬の美味しい魚を焼いてくれた。でも気がついたら、おばあちゃんの家に軽トラは来なくなってしまった。
何気ない人間同士の繋がりが働くことの喜びを与えてくれるはずなのに、テクノロジーが私たちをばらばらにする。青柳監督はそれに抵抗している。監督自らが「青柳くん」として狂乱の姿を晒すことで、壊れる一歩手前の世界をドキュメンタリー映画の力で繋ぎとめようとしている。
佐々木 美佳
映画監督
ひとりの労働者の重たい身体が印象に残った。そこらじゅうを移動しているのにとても窮屈な画面上で、彼は積極的に資本の体制に取り込まれにいくが、それでも彼の存在の重みは絶えずこちらに滲んでくる。誰にむけて、どこから、どうやって怒ればいいのかもうよくわからなくなってきた社会で、いろいろ背負いこんだ彼から漏れ出すつぶやきやうめきは、これからのための貴重な証言だと思う。いまだ当然のように未来は暗いけれど、せめてこの時を共に生きる人たちの呼吸に応じることからはじめたい。
新谷 和輝
ラテンアメリカ映画研究者
タワマンの住民たちは、Uber Eatsで届いたご飯に「いただきます」を言っているのだろうか?そして私たちは?誰かの労働で自分の生活が成り立っていることに感謝の気持ちをいつも持てているのだろうか?
青柳君は、やさしさ一つを友にして自転車を漕ぐ。
2020年の死ぬほど病んだ東京を、身をもって記録したこの映画を、「あんな時代もあったねと」笑って思い出せるかは、私たちがどれだけやさしくなれるかにかかっているのだと思う。
数の子ミュージックメイト
身内音楽収集家
この映画は日常を束ね、編集し、人間のしぶとさを隆起させ、都市に血を通わせる。Uber Eatsという思いもよらぬ場からの力のこもった一打。「映画にする事」の力を信じるチームと協働し、この時代を小さな存在の声を紡ぎあげる事で広げて見せてくれる。文字になる前の生の詩が土手南瓜の如くアオヤギのまわりに転がっている。情けなさもそのままに逞しくなり、声は幼さを隠す素振りのかけらも無く、ありのままで懐かしい。
マイアミ
青柳監督によるセルフドキュメンタリーなロードムービーもしくは煮物としての映画。 狭い道を素早く自転車で走り抜け、大通りに出た時の広がる景色から風を感じ、映画館に風 が吹いている。 「もしかして、監督が映画館と路上を繋ぐために風穴を開けてしまった?」 配達員として飲食店とお客さんを繋ぐように、映画と路上のリアルをも繋ぐ青柳監督。とに かく、自転車を漕ぎ、この時代でどうにか生きている姿をカット&ミックスし煮物のように グツグツと煮込むわけです。苦難や希望を混ぜこぜにして煮物のように料理したこの煮物、 辛かったり甘かったり、見事に味わい深い煮物になっている。「美味い!!」 自分自身を素材、人生自体を物語の骨格とすることで、コロナ禍で加速していく貧困問題が 逆照射されるわけで。監督自身の出会いの良さが投影されて物語が面白く成長し、映画が自 立していく、いつの間にかその物語に没入してしまうけれど、しかしこれはやはりリアルな ドキュメンタリー、しっかり噛みしめて食べる煮物でもある。
吉田山
散歩詩人
青柳監督と話すと、いつも自分の見えていなかったことに気がつく。この映画もそうだった。
コロナ禍での格差・貧困を本当に想像できていただろうか?山梨から上京してきた、借金が550万円もある、コロナ禍の東京でウーバーイーツで働いている青年の人生を想像できていただろうか?そんな特殊な(しかし普遍的な)状況、なかなか思い至らない。だから、東京自転車節を見る。
2021年、今まさに観るべき映画だ。
夏衣 麻彩子
映画監督
同じ労働を、ほとんど同じ街でする僕にとって、
この映画の風景はほぼ全て見たことがあるものだ。
けれど、同じ建物を通りながらも、
青柳くんは、友人や初めて会う人(あのおじいさんの言葉、顔の凄さ)、
そして何より自分を映すことで、
「コロナ禍」や「ウーバー」というトピックに収まらない
「青柳くんの東京」を映画の中に立ち上げてしまった。

「青柳くんの東京」をそれぞれの街の黒い箱で受け取った人が、
自分が見る「まち」や「くに」を、誰かに届ける。
その積み重ねだけが、
システムや大きな言葉…いわば世界のようなものに、
押し潰されずに生きる為の”やっていき方”だと信じてます。
YETTO
ウーバードライバー/トラックメイカー/ラッパー
たまにクサりそうになるUber配達員の仕事を、青柳くんは「ありがとうございました!」と言いながらこなす。人をつなぐ仕事と思って街中を走り回る。はなまるのかけ小を美味しそうにすする。青柳くんはそこにいる人の事を想像し、その優しさを信じている。
だからこそ、ペダルを漕ぐほどシステムの冷たさは浮かび上がる!それでも人を諦めない青柳くんのカメラだからこそその冷たさは浮かび上がる!!
KTY
Uber Eats配達員/ラッパー
フードデリバリー配達員やライドシェア運転手は、「自由」の名の下、実際は運営企業の方針に翻弄され、がんじがらめとなりがちな現実があります。配達員自身の目線で織りなす『東京自転車節』は、その現実を、リアルな質感をもって私たちに突きつけます。
こうした配達員や運転手の働き方を日米で取材してきましたが、彼らの多くが口をそろえて言うのは、「保障を求めすぎたら雇用化につながり自由がなくなる。それは嫌だ」。青柳拓監督に取材した際も、そんな議論になりました。でも配達員の待遇改善の取り組みが進む英国や韓国などでは、自由なギグワーカーの立場を維持しながら、各種の保障や福利厚生を実現しようという流れが出ています。「自由か拘束か」の二者択一だと思わされていることこそが、働き手のがんじがらめにつながっているのではないでしょうか。今作を機に、ギグワーカーの働き方改善への取り組みが日本でも進めば、と願います。
藤 えりか
朝日新聞 経済部 記者
コロナ禍の東京に青柳くんは自転車で突っ込んでいった。
そういえば、1度目の緊急事態宣言が発令された時、身の回りには確証のない噂話であふれていた。
誰もが翻弄され、漠然とした不安を感じていた。
この映画は、収束の余地を見せない1年後の今、鑑賞者に「結局、生きるって何ですか?」という普遍的な問いを投げかける。
数字では見えない、人々の暮らし、葛藤を青柳くんは「足」を使って映し出している。
村松 佑樹
イラストレーター/画家
監督がウチに滞在していた時、自分は彼の服を洗濯していた。自転車を一日中漕いだ彼のTシャツは汗臭かった。家にいて、世界は何もかもが動いてないようにみえてたから汗の匂いが新鮮だった。映画を観て、その時の匂いを思い出した。さわやかな汗も、冷や汗も、じわっと不安な汗もまぜこぜにして猛烈に青柳ちゃんの匂いがする映画だと思う。
加納 土
映画監督
青柳くんが自転車配達員をはじめたころ、わたしは無職になった。他者とのつながりは消え、ひとり部屋で寝転んでいた。
映画を観ている間、わたしはずっと青柳くんの胸ポケットの中にいるようだった。青柳くんの顔が眺められておもしろかったし、いつも聞こえる心臓や息の音に、ひどく安心した。
『東京自転車節』には、2020年の青柳くんの生活と、2020年にあったかもしれないわたしの生活が共存していた。
大浦 美蘭
映画監督
僕はこれまでなにかを知ったふうに生きていただけなのかもしれない。
知ってるはずの青柳くんも、東京も、この映画には映っていなかった。
汚く醜くも力強く生きている人達が踏ん張っていた。
僕はこの映画を忘れないだろう。そして、これからはもっと泥臭く生きていくんだと心に決めた。
佐野 弘樹
俳優
映画は「時代」を映す鏡と言われるが、それはドキュメンタリーの使命でもあり、『東京自転車節』は見事に「時代」を映している。正にいま、リアルタイムで鑑賞することに意味のある作品である。コロナ禍に配達員として自転車で東京を駆け巡る、この映画の主人公である監督は、いまを全身全霊で生きている。ドキュメンタリーで、娯楽映画のようにわくわくさせられるとは思わなかった。
古東 久人
映画ライター